令和6年4月16日
倉田賢次会長(中間市遺族会会長・福岡県遺族会会長代行)と冷牟田理事長、白尾常務理事の戦争問題に関する意見交換会を開催いたしました。
(左)白尾常務理事(中央)冷牟田理事長(右)倉田会長
(以下対談内容抜粋)
倉田会長
若い世代に、また後世に戦争の怖さをどう伝え、その活動として継承させていくべきか、いつも考えています。
戦争を他人事に考えがちですが、いつ巻き込まれてしまうのかわからないのです。
私の活動の中には、日本のために戦争で亡くなった軍人を慰霊する「英霊にこたえる会」に中間市遺族会の代表として靖国神社に行くこともあります。
冷牟田理事長
総理大臣の靖国神社参拝に関して言えば、戦後、中曽根総理大臣までは公式参拝をしていました。外国も今ほど何も言わなかったと記憶しています。平成25年12月、安倍総理大臣が靖国神社を参拝した時から中国や韓国が総理大臣の靖国神社参拝に強く反対するようになり、これ以降、政治的に外交カードに使われるなどされています。A級戦犯が祀られていることがその理由とのことですが・・・。
倉田会長
戦争当時は東条英機をはじめとし、軍部独裁であったかもしれません。しかし、一人ひとりは国のために尊い命を犠牲にした軍人なのです。そのことを忘れてはなりません。
冷牟田理事長
結果として他国を侵略したかもしれませんが、日本も原爆を投下された、戦争の被害者であることは間違いありません。しかし、原爆を投下したアメリカから謝罪などはありません。日本の総理大臣だけが節目ごとに他国に対して謝罪ばかりしています。
倉田会長
田中角栄総理大臣の時に、中国とは日中平和友好条約を締結。韓国とは日韓請求権・経済協力協定により、多くの問題が解決されたとも考えられています。
私はただただ、天皇陛下が靖国神社に参拝していただける時が来ることを願っています。
遺族会では、3年計画として、「語り部の育成」を掲げています。戦争体験者だけではなく、戦争体験者から戦争の恐ろしさや体験を聞いた若い人が次の世代に伝えていく取り組みです。
白尾常務理事
原爆の被害については「語り部」が多くいるようですね。
倉田会長
そうですね。沖縄戦に関しても「語り部」がいます。
白尾常務理事
学校教育の中で戦争の悲惨さを伝えるために「語り部」の話を生徒に聴いてもらうのも平和教育の一環として有意義な取り組みだと思います。
冷牟田理事長
「この国を未来に向けてどう舵を切っていくのか」ということは重要です。覇権主義国家が近隣にある中、日本の政府・外交がどのように対応していくのか。大変重要な問題だと思います。
倉田会長
ウクライナ、中東だけではなく、第三次世界大戦も視野に入れておくべきです。現在の日本は平和とも言えますが、集団的自衛権が限定的にではありますが行使される中、常に危機感を持つ必要があります。
冷牟田理事長
日本の選挙においては投票率は年々下がり、政治に興味を無くし、平和に慣れすぎている証拠ではないでしょうか。
倉田会長
投票率の低さ=政治に無関心ということでしょうね。
白尾常務理事
ロシアとウクライナ、中東の問題からも分かるように、アメリカは世界の警察ではなくなりました。日本も同盟国や友好国と安全保障体制を構築しなければなりません。もちろんその前提として外交努力が必要です。
倉田会長
ロシアのプーチン大統領は「超大統領制」と言われ、憲法からも極めて強い力をもっています。日本は憲法第9条があるからという問題がありますが、そのようなことを言ってはいられない他国の状況もあるのです。
私は昭和19年4月に国民学校に入学しました。空襲のサイレンが鳴って避難したりしましたが、「怖い」といった感情はあまりありませんでした。それよりも戦後の生活苦の方が大変だったのです。
貧しい家庭の子供は靴も履けず、私自身も中学生になってから靴を履くことができました。中学生の時のことですが、昼食前になると何人か教室からいなくなり、午後の授業が始まる前に戻ってくるのです。貧しさ故に弁当を持って来ることができない学生が弁当を持ってきている同級生と同じ時間を過ごさず、校舎の影で時間をつぶすのです。私はサツマイモを弁当代わりに持って行くことができたのですが、これでも良い方なのです。昭和25年からはサツマイモではなく、麦御飯を弁当に持って行くことができるようになりました。
白尾常務理事
日の丸弁当が貧しさの象徴のように聞かされていましたが、白米を食べられたのは、むしろ当時では裕福な家庭だったのですね。
冷牟田理事長
昭和25年といえば1950年、朝鮮戦争が始まった年ですね。朝鮮戦争の特需で日本の経済状態が良くなり始めたことと麦御飯と関係がありそうですね。
倉田会長
そのとおりです。戦争というものは私たちの生活に大変な影響を及ぼすのです。日本も主体的に世界平和の一翼を担い、世界の人々が平和であり、安心して生活できる環境を作るのが私の願いです。そのために二度と戦争という過ちを犯してはならないという思いで、今の活動を命がある限り続けていきたいと思っています。
倉田会長、ご多忙中にも関わらず大変貴重なお話をいただけましたこと、心より感謝申し上げます。今、私たちの平和な暮らしを支えているのは、過去に多くの犠牲あることを忘れてはいけないと強く思いました。
文責:総務課 星山